みなさん、明けましておめでとうございます。
お正月は、恒例の駅伝(ニューイヤー駅伝・箱根駅伝)があり、マラソンファンにとっては、非常に楽しい3日間の始まりです。そこで、箱根駅伝の歴史と、その生みの親「金栗四三(かなくりしそう)」氏の生い立ちを追ってみました。
箱根駅伝第一回大会は1920年に開催され、出場チームは全部で4校。東京高等師範学校が優勝しました。この時の審判長が、金栗四三氏(東京師範学校卒)です。今日まで、約100年の歴史があります。
もともとは、アメリカ大陸駅伝の予選会を兼ねていたということです。
この金栗四三氏とは、いったいどんな人物なのでしょうか。
By 不明 (Asahi Shinbun) – [1], パブリック・ドメイン, Link
熊本県生まれのマラソンランナー。
1911年オリンピック国内予選で世界新、1912年「ストックホルム大会」出場するも、日射病のため失伸(行方不明扱い)の大惨敗。
1914年第二回世界競技会選手権で世界新。
その後、猛練習に励むも1916年「ベルリン大会」は、第一次世界大戦で中止が決定。夢を奪われた金栗氏に柔道の生みの親 嘉納氏が「夢は後進に託せばいい」の助言から、学校の先生になり、マラソンの普及と若手の発屈のため箱根駅伝を創設しました。
1920年「アントワープ大会」16位。
1967年「ストックホルム大会」行方不明扱いが、55年ぶりにゴールが認定される。
92歳 没
マラソンランナー金栗四三氏という人は、実力的には、世界レベルの凄いランナー。さらに凄いのは、箱根駅伝を創設した行動力とプロデューサー的能力だと思います。
金栗四三氏がいなければ、今の箱根駅伝はなかったかと思うと、今のマラソンランナーは、感謝ですね。
明日、明後日は「こんな歴史が箱根駅伝にある」そう思いながらのテレビ観戦も良いのではないでしょうか。
今年の大河ドラマ「いだてん~東京オリンピック噺(ばなし)~」が、1月から放映されます。
その、金栗四三氏が主人公の話です。興味のある人は、ぜひご覧ください。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2019年 元旦
タカマラソンクラブ代表 田中隆則