雑記

スーパーボランティア尾畠春男の「魂の生き方」に学ぶ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

今年8月、山口県周防大島町で行方不明だった2歳児を救出発見したことで一躍有名になった“スーパーボランティア”の尾畠春男さん。その尾畠さんの著書「魂の生き方」を読み、感銘を受けました。

私もそうですが、みなさんが興味を抱くのは、2歳児を発見したとき、その子のご両親から食事や風呂の提供の申し出があったにもかかわらず、尾畠さんはそれを断ったこと、ではないでしょうか。

理由は、「それをしてしまうと、ボランティアでなくなるから」だと言っています。尾畠さんは、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨災害など、多くのボランティア活動に積極的に参加し続けています。私は、ここまで徹底してボランティア活動をしている人を、見たのも、知ったのも、初めてでした。

はたして尾畠さんのボランティア精神は、どこからどのように生まれたのでしょうか。


私なりに、本の中から探ってみました。

まず、尾畠さんの生い立ちに触れてみます。

昭和14年、大分県で7人兄弟の三男として生まれ、実家はご両親が下駄の製造販売で家計を支えていましたが、極貧の生活だったようです。

尾畠さん小5の時、母親は41歳の若さで亡くなっており、この時、近所の大農家の家に「うちでは養えないから」との理由で奉公に出されます。

中学卒業と同時に、姉からの「春男は元気で声が大きいから、魚屋をやるといい」という勧めで、別府にある魚屋に修行に行きます。その時に実父から手渡された30円が列車の片道料金だとわかり「もう家に帰る選択はなかった」と言っています。この魚屋で3年間修行をします。

その時の魚屋の主人に「フグ調理の勉強をした方がいい」と言われ、次に下関にある魚屋でさらに3年間の修行。

そして次に、商売人としての勉強をするため、神戸の魚屋で4年間の修行をします。ここまで10年。

その後、魚屋をやるには資金が足りないという事で、給料の高いとび職やミキサー運転手をやり、同時に魚屋を一緒にやる嫁さん探しもしています。

そして29歳の時、夫婦で念願の魚屋「魚春」を別府にオープン。その「魚春」は、予想以上に大繁盛し、ひと月も赤字を出したことがなかったようです。

その後、一男一女に恵まれ、息子を大学まで出し、家も購入しています。

 

にもかかわらず、尾畠さんは65歳で「魚春」を閉めます。
理由は「65歳になったら自分の好きなことをやると最初から決めていたから」だそうです。

 

お店を閉めたあとは、「日本縦断」「九州一周」「四国遍路」「登山」などに全力疾走。

最初のボランティアは、50歳の時の登山道整備で「魚を買ってくれた人や、山への恩返し」がキッカケで、その後のボランティア活動については、みなさんご存知のとおり。こちらも全力疾走です。

このように、尾畠さんは小さい時からかなり苦労されており、ご両親の愛情も薄かった。
しかし、修行に出てからのいろんな方の手助けやアドバイスを受け、技術と心が成長していきます。

魚屋をオープンさせたのも、お金が目的でなく、家族を養うため、飯を食べていくため。そうでなければ、繁盛店を閉めるわけがありません。

 

間違いなく、尾畠さんという人は、人間味豊かで心が優しく清らかな人物です。それは、食べていけるかどうかの生活から、不自由のない生活ができるようになったのは、自分だけでなくそれ以上にまわりの人たちの手助けやアドバイスがあったおかげだと、人一倍恩を感じているからです。

 

また、人生に計画性があり、それに向かって着実に前進する「一度決めたら曲げない」力強さを持ち合わせています。たとえば、魚屋の修行は最初から10年、お店も65歳で閉める、とはじめから決めていたことには驚きます。

 

このように、極貧からスタートし、周りの人たちの応援で魚屋をやっていける事に恩を感じたことで、ボランティア精神が芽生え、その活動スタイルは「決して見返りを求めない」と最初から決めていたという事だと思います。

 

それにしても、他人のためにここまで汗を流せる人は、そうそういません。

 

ここからは、この本の中から、私が感動をもらい、感銘を受けた言葉を紹介したいと思います。

東日本大震災のボランティア活動では、被災地で困っている人を見て「酒など飲んでる場合じゃない」と思い、仮設住宅がすべて取り壊されるまで禁酒。7年間一滴も飲んでない(尾畠さんはもともと酒好き)。

真心を大切にすれば、少々のことで怖いものはなくなる。怖いのは自分です。

かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め。

生かすも言葉、殺すも言葉。

知恵を振り絞った回数だけ、可能性も無限に広がる。

汗をかく、恥をかく、文字をかく。

尾畠さんは、ここに書かれていることを人生の指針として、忠実に実行されています。
最後に私は、ほんの少しでもいいので尾畠さんに近づくことができたら良いと思いました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る