今月28日に放送された、NHKドキュメンタリー番組のファミリーヒストリー「瀬古利彦~インド洋に向かった父 オリンピックの記憶」を見て、「今までとは違った日本マラソン界のリーダーの誕生」を予感したので、その感想をお伝えします。
瀬古さんは、3人兄弟の一番下で生まれ、ご両親の愛情いっぱいに育てられました。
さて、瀬古さんの早稲田大学~SB食品時代の師匠は、中村清氏という方で、元ベルリンオリンピック1500m代表選手です。その指導方法は、超スパルタ、超熱血で、当時マラソンに関わる人なら知らない人はいないくらい有名でした。ただ、その時代は、マラソンと言う競技の特殊性から、周りの監督を見ても、同じようなタイプの指導者が多かったように思います。
私も、同じタイプの監督から指導を受けていました。
こんな話をすると、スパルタ、熱血がダメなように聞こえますが、瀬古さんの実績をみると、今のトップマラソン選手のレベルと同一か、むしろ、「上回っているのではないか」と思うのは、私だけではないでしょう。
マラソン15戦10勝ですから、スパルタ、熱血も、非常に大事だということです。
ただ、スパルタに関していうと、瀬古さんは、まったく無縁な人のように思います。
そのためかどうかはわかりませんが、残念ながら、監督としての実積はこれと言ったものはありません。
実は、私と瀬古さんとは、少しだけつながりあります。
私が、治療の世界に入った時に、瀬古さんが関係する治療院で少しの間ですが、お世話になったことがあります。それ以後、私の方から一方的ですが、年賀状を出すと、必ず返事が返ってきました。私みたいなものでも、大切にしていただける、真から心の優しいお人柄の方です。
皆さんもご存知のとおり、瀬古さんは、二度のオリンピックでは思うような成績を残せませんでした。しかしこの経験が、今の”プロジェクトリーダー”としての職務に大変役立っているのではないかと思う話がありました。
「今、自分(瀬古さん)がすることは、オリンピックに選ばれた選手が、何の迷い、プレッシャーもなく、スタートラインに立てるようにすること」。これは、瀬古さんにしかできないことかもしれません。
日本のマラソン界も、東京オリンピックのマラソンプロジェクトリーダーに瀬古さんを、その元に、監督としての実積のある方々を配置しました。初の試みです。
今のところ、この試みが功を奏し、タイムも上がり、選手層も厚くなりました。最終的には、しばらく様子を見てみないとわかりませんが、リーダーと監督が同じ方向を見て、回りがついて来れば結果が出るものと思います。
“マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)”は、とりあえず、東京オリンピックまでと言われています。しかし、結果さえ伴えば長く続けていける良いシステムです。そのためには、マラソンをよく知るリーダの存在が不可欠で、そのリーダーの必要要件は、スパルタは必要なく、寛大で、人を思いやる心があり、人を惹きつける魅力にあふれること。
”日本マラソン界復活の布石”になることを、強く願っています。